フリープログラマで飯を食う

フリープログラマが、どうやって本業と、副業で飯を食べているか

スキルを上げる原動力!

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やる気を出すとき

スキルを上げたいときってどんなときですか?
普通、このプログミング言語のこの文法が好きで勉強したいって人いないと思うんです。
たぶん、そんな人いたら結構、変態です。
 

おれのやる気を見せてやる

中学で、パソコンを買ってもらったときの動機は、エロサイトが本当に見たかったからです。
高校のとき、プログラマになろうと決めたのは、なんかカッコよかったからです!
大学校のとき、20kgを痩せたのは、モテたかったからです。
こういうのが、原動力になっていました。
 

技術とは別の目的

技術は、手段であって目的ではありません。
こんなアプリを作りたいとか、お金を稼ぎたいとか。
目的に向かって飛び込んで行って、技術を獲得しましょう。
 

仲間がいるとはかどる!

目的に向かうときに、仲間がいると継続します。
技術の習得が早まります。
勉強会に行きましょう!
懇親会に参加しましょう!
きっと、仲間が見つかるはずです!
 

 

 

 

勉強会へ行こう!――「会社を辞めても困らない人」になるスピード成長法
 

 

 

 

フリーのプログラマはいつなるか

フリーのプログラマはいつなるか

 

今でしょ

 

2008年の10月からなので、もう、8年ほどフリーをやっています。

 

フリーになると何が変わるか?

現場にもよりますが、やることは、まったく一緒だと思います。

おれは、正社員になったことはないので、正社員との比較はできません。

 

メリット

・なんといっても報酬が上がる(契約を変更するたびに上がります)

・仕事を取ろうと勉強するので、技術力も上がる

・時間が増える。面倒な社員の会議などありません。

 

今の現場はどんなところ

今の現場は、コードしか書いていません。

WEB系で、設計書をほぼ書いていません。

3ヶ月毎に、仕事を変えていた時期もありましたが、落ち着きました。

楽だし、いっぱいもらえるところで、少し長く居座っています。

 

めんどくさいこと

青色申告がやっぱりめんどくさかったです。

なぜ、過去形かというと、今は税理士さんを雇っているからです。

奥さんも雇っていることにして、節税などをしています。

 

 

フリーランスSEとして生きる道 (DB Magazine SELECTION)

フリーランスSEとして生きる道 (DB Magazine SELECTION)

 

 

 

フリープログラマって、こういう人がなるんだよ

昔、ゲームが大好きで毎日、目が痛くなるまでゲームをしていた。

小学生のころと言ったらファミコンで、親指の付け根が痛くなるまでやった。

そのころの夢は、おもちゃ屋になることだった。

勉強もできた。

 

中学はマンモス校だった。

小学校のころは、1クラスだった。

いきなり9クラスになって、人に酔ってしまい、初日にゲロったのは覚えている。

そのころは、ジュディマリにはまっていた。

 

高校のころになると、パソコンを買ってもらい、ずっとインターネットをしていた。

まだ、パソコン通信があるくらい昔だったので、ネットはカクカクだったがのめり込んでいった。

買ってもらった動機は、エロに決まっている。

その頃から、プログラマになると決めていた。

なんだか、カッコ良かったからだ。

小学生のころ一番だった勉強も、高校のときは下から数えたほうが早かった。

 

手に職の大学校に入ってからは、プログラムが大好きになった。

C言語の授業では、毎回満点だった。

ほぼ座学が無く、手を動かしてやる授業のこの学校に行けて本当に良かったと思っている。

このころは、なんでも出来ると思っていた。

 

同じ系列の4年制の大学に編入し、車通学になった。

千葉の柏から、栃木の小山まで片道毎日1時間と少しの運転だった。

もともとゲームが好きだった私は、パチンコにはまっていった。

この頃に初めての彼女ができ、初めての事故も経験している。

 

初めて入った会社はハローワークで見つけた。

なんせ、就職活動を、卒業式の1ヶ月までしなかったからだ。

入った会社は、ゲーム会社の子会社で、8人ほどの会社だった。

私はこのころアマちゃんだった。

会社に入ったら、会社の人が仕事の仕方を教えてくれるのだと思っていた。

やったことないことは、誰かがこうやるんだよと近寄ってきて、手ほどきしてくれるのだと思っていた。

3ヶ月後、近寄ってきたのは社長で、肩をトントンと叩かれ首になった。

28歳の社長はこのとき泣いていたし、おれも泣いていた。

 

8ヶ月ほどニートをした。

パチンコをして、面接をして、スロットをして、面接をした。

10社ほど面接した。

3ヶ月で首切られたやつが、受かるはずがなかったが、ある日一社だけ面接がうかった。

プログラマではなく、テスターだった。

合格した私は、次の日の午後にまた来てくださいと言われた。

午後からの出社だった私は、朝スロットに行き、連チャンしたため会社には行かなかった。

本当にひどいやつだった。

だが、プログラムの勉強はしていた。

 

友達に派遣会社を紹介してもらい、また、プログラマになった。

正社員を派遣するやつだった。(そういうのをなんというか忘れてしまった。)

大手の電気会社での仕事だった。

家に電気の検針にくるおばちゃんの端末の中のシステムなどを作った。

派遣先に、先輩プログラマ1人いて、そこに同じ時期に入ったおれと、もうひとりが派遣された。

もうひとりは、ものすごい出来が悪く、先輩からいじめられていた。

机の下で蹴られたり罵られたりひどいものだった。

そいつは耐えられなくなり辞めてしまった。

いじめは、おれにまわってきた。

おれも派遣先を辞めた。

こんなやつがやっているプログラムに嫌気がさした。

 

母親を悲しませたくなかったし、なんでもやろうと別の派遣先に行った。

デジカメの部品を最終調整する仕事場だった。

電子部品を外しては付け、撮影し色味などを調整する内容だった。

そのとき、はんだこてなんぞは、一回もさわったことなかった。

まったくやったことないおれは、お願いして聞きまくった。

はんだがつけられるだけで、ただ楽しかった

撮影が出来ない雨の日は、本当に暇な仕事だった。

何もやることがないので、プログラムを勉強した。

部署内のシステムを作って褒められた。

プログラムが好きなのを再認識した。

 

デジカメの会社で働いている時に、悪友と知り合った。

会社終わりにスロットに行き、遊びまわった。

今でも交流がある。

こいつは、デジカメの会社を辞め、もっと条件のいいところに転職した。

紹介キャンペーンで10万円もらえるということで、こいつの紹介で転職した。

働く場所なんてどこでも良かった。

ちなみに、紹介キャンペーンの10万円は、スロットで2日でなくなった。

 

ビル管理のシステムを作るところに派遣された。

このころには、プログラムのレベルが上がっていた。

仕事するのが楽しかった。

覚えるのが楽しかった。

だけど、ギャンブルも楽しかった。

金が無くて、切羽詰まっていた。

本当にクズだった。

 

そのころ読んだ本に感化され、なんとかしようと独立することになる。

フリープログラマになった。

フリーになってからの初めての仕事、どんなことになるかと思ったが、やることは同じだった。

プログラムを書く。

ただそれだけだった。

やることは、同じだった。

手取り20万円程度だったのが、2.5ほどになった。

このとき、26歳か、27歳か、そのくらいだった気がする。

 

何箇所か、現場が変わり、現在もフリーで働いている。

手取りもさらに上がり、副業をし、もう少し稼いでいる。

学校でプログラムを学んだやつらで、残っているのは数人だ。

残っているやつでフリーになったやつは、おれともうひとりくらい。

昔の自分を褒めるとしたら、唯一フリーになったことくらいだろうか。